週に五日、自宅の簡易的なデスクでノートパソコンを開き、終わらないオンライン会議を処理する。それが、フリーランスのデザイナーとして独立した私の日常だった。
食事は、ほぼ全てデリバリーかネットスーパーに頼っている。人と会うのが億劫だとか、そういうことではない。単純に、効率が良いからだ。 チャイムが鳴っても出る必要はない。「置き配」を指定しておけば、玄関ドアの外側に設置した折り畳み式のボックスに、無言で商品が届けられる。
私が受け取るのは「商品」であって、「配達員」とのコミュニケーションではない。この割り切りが、現代の快適さそのものだと信じていた。
異変は、三週間ほど前から始まった。
その日も、夕食用の冷凍食品と飲料水の「置き配」をアプリで確認し、玄関ドアを開けた。 いつものボックスの中には、注文した品と共に、見慣れない小さな紙袋が一つ、余計に入っていた。
(配達ミスか?)
手に取ってみる。何の変哲もない、ハンバーガーショップで使われるような茶色い紙袋だ。伝票も、ロゴも何もない。 中を覗き込むと、空っぽだった。 ただ、袋の底に、湿った黒い土が少量、こびりついていた。
気味が悪かったが、誰かが間違えて入れたのだろうと判断し、その紙袋はすぐに捨てた。
翌日。 また、入っていた。 今度は、注文した覚えのない、コンビニのビニール袋。 中身は、拳ほどの大きさの、河原に落ちているような丸い石が一つ。
それが三日、四日と続いた。 ある日は、錆びた釘が数本。ある日は、千切られた新聞紙の束。 どれも、明確な悪意とも、単なるイタズラともつかない、不気味な「ゴミ」だった。
さすがに配達業者にクレームを入れたが、「当社が配達した荷物以外は関知しない」の一点張りだ。当たり前だろう。
私は、自衛のために小型の防犯カメラを玄関ドアの上部に設置した。動体を検知すると、私のスマホに録画データが飛ぶ仕組みだ。
設置した日の夜。 ピコン、とスマホが鳴った。動体検知の通知だ。 アプリを開く。 映像には、いつものネットスーパーの配達員が、私の注文した品をボックスに収める姿が映っていた。 (……よし。これで、あのイタズラ荷物を置く瞬間が撮れるはずだ)
そう思った直後。 ピコン、と再び通知が鳴った。 時刻は、先ほどの配達から、わずか30秒後。
アプリを開く。 映像が、砂嵐のように乱れていた。 ノイズが走り、何も見えない。その状態が十秒ほど続き、ふっと映像がクリアになる。 もう誰もいない。 だが、置き配ボックスの『上』に、あの見慣れた茶色い紙袋がちょこんと置かれていた。
背筋が凍った。 カメラが壊れている? いや、さっきの配達員は鮮明に映っていた。 なぜ、この「荷物」が置かれる瞬間だけが、記録されない?
震える手でドアを開け、紙袋を掴む。 中を覗き、息を呑んだ。
入っていたのは、私の髪の毛だった。 黒く長い、間違いなく私のものだ。洗面所でブラッシングした際に抜けたものが、少量、束になって入っていた。
いつ? どこで? いや、それよりも。 なぜ、カメラは「これ」を置いた『誰か』を映さない?
恐怖に駆られ、私はこのアパートの過去を調べ始めた。 この部屋は、いわゆる事故物件ではなかった。だが、私が越してくる二ヶ月前、前の住人がここで亡くなっていたことは分かった。 高齢の女性で、いわゆる孤独死。 死後一週間ほどで発見されたらしい。
その時、ふと、毎日見ているはずの玄関ドアの『あるもの』に意識が向いた。 ドアノブの少し下。 古いシールか何かを剥がした跡があり、その粘着部分に、色褪せたテプラの文字が、かろうじて残っていた。
『いつも ありがとう ございます。___には、こちらへ』
肝心な部分が擦り切れて読めない。 前の住人が、新聞か何かの配達員に宛てたメモだろうか。
その夜。 私はすべての「置き配」サービスを停止した。もう、金輪際使うものか。 カメラの映像を睨みつけながら、ベッドにも入らず夜を明かした。 何も起こらなかった。
翌日も、その次の日も、不審な荷物は届かなかった。 (……終わった) 安堵しきった、四日目の夜だった。
午前二時。 静まり返った部屋に、ピンポーン、とインターホンの音が響いた。
心臓が跳ね上がった。 こんな時間に誰だ。 恐る恐る、壁のモニターを覗き込む。 暗い共用廊下が映っているだけ。誰もいない。
(イタズラか……) そう思った瞬間、手に持っていたスマホが、短く震えた。
通知だ。 しかし、それはどのアプリからの通知でもなかった。 カレンダーアプリか、あるいはシステムそのものから発せられたような、無機質なポップアップ。
『不在連絡票:お荷物をお届けにあがりましたが、ご不在でした』
意味が分からなかった。 私は、在宅している。 そもそも、何も注文していない。
『再配達を依頼しますか? [はい] [いいえ]』
指が勝手に[はい]をタップしそうになるのを、必死でこらえた。 スマホの電源を落とそうとするが、画面がフリーズして動かない。
ピンポーン。
再び、チャイムが鳴った。 モニターには誰も映らない。
ピンポーン、ピンポーン、ピンポーン。
狂ったようにチャイムが鳴り続ける。 私は耳を塞ぎ、恐怖に叫びそうになりながら、玄関ドアの『ドアスコープ』に目を当てた。
外を確認しなければ。 そこに『何か』がいるのかどうかを。
レンズの向こう。 そこには、何もいなかった。 いるはずの『何か』は。
ただ、 私の部屋の玄関ドアを塞ぐように、 あの、茶色い紙袋や、コンビニの袋、石や釘、新聞紙の束、そして私の髪の毛が入った袋が、天井に届くほど高く、びっしりと積み上げられていた。
隙間なく、まるでレンガのように。 完全に、出口が塞がれている。
そして。 その『荷物』の山の、ちょうど、ドアスコープの高さに当たる部分。 一番『こちら側』に、一つの『荷物』が置かれていた。
それは、ついさっきまで、わたくしが手に持っていたはずの、 わたくしの、スマートフォンだった。
画面がこちらを向いている。 暗い画面に、新しい通知が浮かび上がっていた。
『配達完了:お受け取り、ありがとうございました』
彼女は、その部屋の『前の住人』が、何を待っていたのかを知る由もありませんでした。 高齢の彼女が、唯一の楽しみとしていた、遠くに住む親族からの『仕送り』。
彼女が亡くなる直前まで待ち続け、ついに受け取ることができなかった『荷物』。
その『待つ』という行為だけが、あの部屋には今も残っているのです。 玄関に残されたメモの、擦り切れた文字は、こうでした。
『いつも ありがとうございます。『おそなえもの』は、こちらへ』
記録者:硯 幽花



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