突然ですが、皆さんの「人生で一度は触ったことがある楽器」ランキング、第1位はなんでしょうか? おそらく多くの方が「ピアノ」か「リコーダー」を挙げるのではないでしょうか。(鍵盤ハーモニカも強いですね)
学校の音楽室には必ずあり、習い事の王様としても君臨する「楽器の王様」ピアノ。

出典:Metropolitan Museum of Art, CC0, via Wikimedia Commons
https://commons.wikimedia.org/wiki/File:John_Broadwood_%26_Sons_Grand_Piano.jpg
このピアノ、あまりにも当たり前に存在していますが、当然、誰かが「発明」した訳です。 その人の名前、ご存じですか?
……シーン。
ですよね。知らない方がほとんどだと思います。 彼の名は、バルトロメオ・クリストフォリ。
この方、現代の音楽文化の「基礎」を作ったと言っても過言ではない、とんでもない大偉業を成し遂げた人物です。 しかし……。
そんな彼が人生をかけて生み出した世紀の大発明、生前は「え、これ? なんか音がうるさくない?」と、まさかの酷評の嵐だったとしたら…?
今回は、音楽史に革命を起こした不世出の天才でありながら、その功績がまったく理解されなかった、「時代が早すぎた男」バルトロメオ・クリストフォリの、輝かしくも切ない生涯に迫ります。
【功績】音楽史を根底から変えた「革命的発明」
まずは、クリストフォリさんがどれだけ「スゴイ人」だったのかを見ていきましょう!!!
スゴいぞクリストフォリ①:超エリート! メディチ家にヘッドハントされた天才職人
バルトロメオ・クリストフォリは、1655年、イタリアのパドヴァという街で生まれました。彼はもともと、優れたチェンバロ(ピアノの前身となる楽器)製作者として知られていました。

出典:Morn the Gorn, CC BY-SA 3.0 https://creativecommons.org/licenses/by-sa/3.0, via Wikimedia Commons
https://commons.wikimedia.org/wiki/File:MIM_Pleyel_Harpsichord_CN4574.jpg
その腕前が、当時の超セレブであり、ルネサンス期から続くフィレンツェの名門・メディチ家の耳に入ります。 時のトスカーナ大公コジモ3世の息子、フェルディナンド・デ・メディチ。
彼は大の音楽愛好家(というかオタク)で、膨大な楽器コレクションを持っていました。
1688年頃、フェルディナンドはクリストフォリにこう言います。 「君、ウチに来ない? 私の楽器コレクションの管理と製作、全部任せたいんだけど」
キター!!!!! まさかのメディチ家から直々のヘッドハンティングです。
これは、現代で言えば、AppleやGoogleから「ウチの製品開発のトップやってよ」とスカウトされるようなもの。
クリストフォリが、当時からすでにトップクラスの技術者だったことが分かります。
こうして彼はフィレンツェに移住し、メディチ家の全面的なバックアップのもと、楽器製作に没頭できるという、職人として最高の環境を手に入れたのです。
スゴいぞクリストフォリ②:パトロンの「無茶ぶり」に応えた
クリストフォリに与えられたミッション。それは、楽器の管理や修理だけではありませんでした。 パトロンのフェルディナンドは、当時の主流楽器「チェンバロ」に、ある「不満」を抱いていました。
皆さま、チェンバロの音色、聴いたことありますか? 非常に華やかで繊細、キンキン、シャラシャラとした、いかにも「貴族の音楽」という音がします。
出典:平林大翔/Hiroto Hirabayashi「チェンバロ演奏「人生のメリーゴーランド」Merry Go Round Life / 久石譲」より
なぜあんな音がするかというと、チェンバロは「鍵盤を押すと、プレクトラム(爪)が弦を『弾く(はじく)』」という仕組みだからです。

出典:Thomas Quine, CC BY 2.0 https://creativecommons.org/licenses/by/2.0, via Wikimedia Commons
https://commons.wikimedia.org/wiki/File:Harpsichord_3_(8302099455).jpg
ギターやハープを指で弾くのと同じ原理ですね。 この仕組み、大きな弱点がありました。
それは、音の「強弱」が一切つけられないこと。
鍵盤をそーっと押しても、激しく叩きつけても、プレクトラムが弦を弾く力はほぼ変わらないため、出てくる音は常に「テンッ♪」と同じ大きさ。
当時の音楽家やフェルディナンドは、ジリジリしていました。
「オペラも流行ってきたし、もっとドラマチックに盛り上げたい!」
「ここで『ジャーン!』と強く、ここでは『…そっと』囁くように…」
「なのにチェンバロときたら、お前はいつも『テンテンテンテン…』だな!!!」
この「強弱をつけたい」という欲求に応えるため、クリストフォリは前代未聞の挑戦を始めます。
スゴいぞクリストフォリ③:【革命】「弾く」から「叩く」への大転換
「弾く」から強弱が生まれないなら、いっそ「叩けば」いいんじゃないか?
彼は、鍵盤を押す力を「ハンマー」に伝え、そのハンマーが弦を「叩く(ストライクする)」という、まったく新しいメカニズムを考案します。

「いやいや、それだけ?」と思うなかれ。これがどれだけ「異常」な発想だったか。
弦を叩く楽器は、当時すでに「クラヴィコード」や「ダルシマー」がありました。
しかし、クラヴィコードは構造が単純すぎて「音が小さすぎる」という欠点がありました。囁くような音は出せても、「ジャーン!」が出せない。
クリストフォリの真の革命は、「ハンマー・アクション」と呼ばれる超絶技巧のメカニズムにあります。
彼が発明した機構(アクション)の凄いところは、以下の3点です。
- ハンマーが弦を「叩く」 (→ 鍵盤を叩く力加減で、音の強弱が自在につけられる!)
- 叩いたハンマーが「瞬時に弦から離れる(エスケープメント)」 (→ 弦の振動を妨げず、音が豊かに響き続ける!)
- 鍵盤から指を離すと「ダンパー(消音器)が弦に触れ、音が止まる」 (→ 鳴らしたい音だけをクリアに鳴らせる!)
「…え? それ、今のピアノと全く同じじゃない?」
そうなんです。 クリストフォリさん、なんと1700年頃(※発明年は諸説あります)に、現代のグランドピアノにまで受け継がれている最も重要な基本機構を、たった一人で、ほぼ完璧な形で発明してしまったのです。
いや、天才すぎでは??
彼はこの新しい楽器に、こう名付けました。
「グラヴィチェンバロ・コル・ピアノ・エ・フォルテ」
(Gravicembalo col piano e forte)
イタリア語で「弱い音(ピアノ)と強い音(フォルテ)が出せるチェンバロ」という意味。 そう、私たちが呼ぶ「ピアノ」という名前は、この長ったらしい名前の「ピアノ・エ・フォルテ」の部分が短縮されたものだったんですね。

出典:Francesco Bini, CC BY-SA 4.0 https://creativecommons.org/licenses/by-sa/4.0, via Wikimedia Commons
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彼は、音楽に「ダイナミクス(強弱)」という、最も豊かな表現手段を与えた革命家となりました。
さあ、これだけの大発明です。 メディチ家は狂喜乱舞! ヨーロッパ中の王侯貴族から注文が殺到! クリストフォリは巨万の富と名声を得て、歴史にその名を刻みました!
……とは、ならなかったのです。
【ギャップ】世紀の大発明、まさかの「酷評」
ここからが本題。「ぽんこつ」というか、あまりにも「不遇」すぎる、クリストフォリの裏の顔です。
彼が心血を注いで生み出した「ピアノ・エ・フォルテ」。 その革新的な楽器は、生前のイタリアでは……驚くほど、流行りませんでした。
不遇だぞクリストフォリ①:音が「うるさい」「下品」とディスられる
当時のイタリアの音楽家や聴衆の反応は、非常に冷ややかでした。
「なんか…音が粗くない?」 「チェンバロのあの繊細でキラキラした音色に比べて、こいつ(ピアノ)は音がデカくて下品だ」 「強弱がつくのは分かるけど、操作(タッチ)も重くて弾きにくいし…」
まさかの酷評。 「いやいやいや! そこが良いんじゃん! 強弱が!」と私たちは思いますが、当時の人々の耳は、優美で繊細なチェンバロの音色に慣れきっていました。
彼らにとって、ハンマーが弦を叩きつけるピアノの音は、単なる「雑音」か「うるさい音」に聞こえてしまったのかもしれません。(※諸説あります)
現代の私たちが、もし突然「これからはこの楽器が主流です」と、聴いたこともない爆音の電子音を聴かされたら「うわ、耳が痛い」と思うのと同じ感覚だったのでしょうか…。
不遇だぞクリストフォリ②:複雑すぎて高すぎる(オーパーツ問題)
もう一つの問題。それは、彼の発明があまりにも「高度すぎた」ことです。
先ほど説明した「ハンマー・アクション」。 これは、当時の職人技術からすると、異常なほど精密なメカニズムでした。 当然、製造コストは爆上がり。楽器自体がめちゃくちゃ高価になりました。

↑肩を落とすクリストフォリ
「こんな高くて複雑な楽器、誰が買うの?」 「そもそも、弾きこなせる人もいないし…」
さらに追い打ちをかけたのが、彼最大の理解者でありパトロンであったフェルディナンド・デ・メディチの早世(1713年)でした。
最大の後ろ盾を失ったことで、クリストフォリの「ピアノ・エ・フォルテ」は、その真価をイタリア国内で発揮する場を失ってしまいます。
結局、クリストフォリがその生涯で作ったピアノは、わずか20台程度だったと言われています。(現存するのは世界でたった3台!)
彼はピアノの発明後も、生活のためか、あるいは需要がなかったためか、結局チェンバロや他の楽器の製作・修理を続けていたそうです。
…切ない。切なすぎませんか?
不遇だぞクリストフォリ③:花開いたのは「ドイツ」、本人の死後
クリストフォリは、失意のうちにピアノ製作を諦めた…かというと、そうでもありませんでした。
彼は地道に改良を続け、その設計は、イタリアのジャーナリスト、シピオーネ・マッフェイによって詳細な論文(1711年)として出版されます。

↑シピオーネ・マッフェイ(ジャーナリストには見えない)
この記事が、思わぬ形でクリストフォリの発明を「輸出」します。 この記事がドイツ語に翻訳され、遠く離れたドイツの楽器製作者、ゴットフリート・ジルバーマンの目に留まったのです。
「なんだこの機構は!? 天才か!?」
ジルバーマンは設計図を元にピアノの試作を始めます。 そして、その試作品を、当時のドイツ音楽界のドン、かのヨハン・ゼバスティアン・バッハ(大バッハ)に弾いてもらいます。
ドキドキのジルバーマン。しかし、バッハの反応は…
「うーん、高音域が弱すぎ。鍵盤のタッチも重くて弾きにくい。まだチェンバロの方がマシだね(意訳)」
バッハ先生、ダメ出し!! ここでも酷評です。クリストフォリの発明、呪われてるんでしょうか。
しかし、ジルバーマンは諦めませんでした。彼はバッハの的確な(厳しすぎる)アドバイスを元に、クリストフォリの機構をさらに改良。 数年後、改良版をバッハに弾いてもらうと、今度は「これは素晴らしい!!」と大絶賛。
このバッハのお墨付きを得たことで、ジルバーマンの工房からピアノはドイツ全土に広まり始めます。
そして、その弟子たちがさらに改良を重ね、モーツァルトが愛用するピアノ(フォルテピアノ)が生まれ、ベートーヴェンが情熱をぶつける強靭なピアノへと進化していくのです。
…あれ? クリストフォリさんは?
バルトロメオ・クリストフォリは、1731年、フィレンツェで亡くなります。75歳でした。
彼が亡くなった頃、遠いドイツではジルバーマンがバッハにダメ出しを食らっている真っ最中(1730年代)。
つまり、クリストフォリは、自分の発明が「楽器の王様」として花開くのを、まったく、一切、見ることなく、この世を去ったのです。
彼が蒔いた「ピアノ」という種は、イタリアではついに芽吹かず、遠い異国の地ドイツで、彼の死後にようやく芽を出し、次の世代の天才たちによって大輪の花を咲かせた訳です。
【まとめ】時代が早すぎた、偉大なる「ピアノの父」
バルトロメオ・クリストフォリ。
彼の「オモテ」の顔は、メディチ家に認められ、現代ピアノの基礎をゼロから生み出した「革命的発明家」。
しかし、その「ウラ」の顔は、その発明が高度すぎたが故に誰にも理解されず、「音がうるさい」と酷評され、不遇のうちに生涯を終えた「悲しき天才」でした。

今、私たちが当たり前に聴いているピアノの音色。
ベートーヴェンの『運命』の「ジャジャジャジャーン!」という激情も、ショパンの『ノクターン』の消え入りそうなピアニッシモ(最弱音)も。
すべては、300年以上前に「もっと豊かな表現がしたい」と願ったパトロンと、その無茶ぶりに応えようとした一人の職人の、孤独な挑戦から始まっています。
クリストフォリ自身は、生前、自分の発明が世界を変えるとは夢にも思わなかったかもしれません。
でも、彼が諦めずに追求したその「職人魂」のバトンは、マッフェイの論文によって海を渡り、ジルバーマンに引き継がれ、バッハに認められ、モーツァルト、ベートーヴェンへと繋がっていきました。
次にピアノの音を聴く機会があったら、ぜひ思い出してみてください。 「あ、この音、クリストフォリが『うるさい』ってディスられてた音だ…」と。
きっと、その音色が少しだけ切なく、そして何倍も愛おしく聞こえてくるはずです。



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