時空日記 [西暦2280/11/07]

SF

本日、一件の記録に対し「レベル4(永久閲覧制限)」の指定を申請した。

対象は、西暦2045年、旧北米大陸在住の男性、ダニエル・キーツ(当時19歳)。 歴史的価値、ゼロ。社会的影響力、皆無。 ごく平凡な青年が、当時の日記アプリに書き殴った、失恋の記録だ。

内容は、ひどいものだった。 相手の女性への罵詈雑言。自己嫌悪。幼稚な自尊心と、未練がましい感傷が、デジタルノイズのように延々と続いている。 私だって、似たような感情を抱いたことはある。だが、彼のように生々しい言葉で書き残しはしない。 あまりに……「恥ずかしい」記録だった。

彼は、その日記を書いた3日後、不慮の事故で亡くなっている。 つまり、この記録は、彼が「消去」する機会を永遠に失った、人生最後の感情の残滓(ざんし)だ。

時空記録管理局(私たちの職場)の基本理念は、「知りうるすべてを、知りたいうすべての人へ」だ。

歴史は、美しく整えられた公文書だけで作られるのではない。ダニエルのような名もなき個人の、どうしようもない感情の堆積こそが、その時代の「真実」なのだ、と。

同僚(AI)は、この記録の閲覧制限に反対した。 「対象(ダニエル・キーツ)は公人ではなく、この記録の公開が現代社会に与える損害は計測不能(ゼロに等しい)。よって、理念に基づき『レベル1(自由閲覧)』が妥当」と。

私は、首を横に振った。 私たちは、墓荒らしになってはいけない。 死者の尊厳とは、彼が生前に「そうありたい」と願った姿を守ることだけではない。彼が「隠したい」と願ったであろう心の傷口を、好奇の目から守ることも含まれるはずだ。

知りうるすべてを知る権利。それは、時に、知られたくないすべてを隠す権利と衝突する。 技術がどれほど進歩しても、この天秤を揺らすのは、AIの論理(ロジック)ではなく、私たち人間の「共感」や「痛み」なのだと信じたい。

彼の日記の最後の一文は、こうだった。 「こんな自分、消えてしまいたい」

だから、私は「消した」。 彼が歴史的資料として「閲覧」されるのではなく、一人の苦悩した人間として「安らかに眠る」権利を、私は選んだ。

(エララ・ヴァンス / 時空記録管理局・倫理キュレーター)

※この文章はGrovaによって翻訳されました

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