【怪談】重(かさ)ね

デジタルホラー

岡崎さん、本当にこんな山奥まで、物好きなんですね」

レンタカーの助手席で、地元ガイドの青年(市役所の観光課だという)が、呆れたように笑う。 俺はフリーのルポライター、岡崎だ。 今、俺たちが向かっているのは、地図から半ば抹消された、群馬県境の山中にある『石切り場跡』だった。

「いやあ、資料によれば、ここにしかない『特殊な文字』が刻まれた石碑群があるらしくてね。読者ウケするんだよ、そういうオカルトチックなやつ」

「オカルトですか…。あそこは、地元じゃ『触らぬ神』って言われてるだけで、ただの古い採石場ですよ」

車は舗装路を外れ、砂利道をゆっくりと進む。 目指す場所は、明治期に放棄された石切り場と、そこに併設されていたという小さな『社(やしろ)』の跡地だ。

車を降り、獣道に近い参道を15分ほど歩く。 ガイドの青年が「ここです」と立ち止まった先は、鬱蒼とした木々に囲まれた、開けた場所だった。

「うわ…」

思わず声が漏れた。 苔むした岩肌が剥き出しになった採石場の壁。その手前に、大小様々な『石碑』や『石仏』が、まるで墓場のように乱雑に放置されている。 その数、百は下らないだろう。

「…すごいな。これ、全部、あの壁から切り出したのか」

「さあ…。ただ、気味悪いのは、ここの石仏、どれも『顔』が無いんですよ」

青年の言う通り、地蔵らしき石像も、観音らしき石像も、例外なく顔の部分だけが、ノミか何かで意図的に削り取られている。

「さて、お目当ての『文字』とやらは…」

「ああ、それなら、あの一番奥のヤツじゃないですか?」

青年が指差す先。 ひときわ大きな、高さ2メートルほどの黒ずんだ石碑が、社の跡らしき石垣に寄りかかるように立っていた。

「…これか」

近づいて息を呑む。 石碑の表面に、見たこともない『文字』がびっしりと刻まれている。 漢字ではない。梵字でも、ハングルでもない。 強いて言うなら、ミミズが這った跡を、無理やり記号化したような、不規則で、不快な曲線で構成された『何か』だ。

「読めます?」

「…いや、専門外だ」

俺はリュックから、いつもの『商売道具』を取り出した。 スマートフォンだ。

「岡崎さん? 写真撮るだけじゃ、意味ないんじゃ…」

「まあ見てなって」

俺はカメラを起動し、そのまま最新の『AR翻訳アプリ』を立ち上げた。 数年前にGoogleが火付け役となり、今や海外旅行の必須ツールとなっている、カメラで映した文字をリアルタイムで翻訳してくれる、アレだ。

「こんなもので…?」

「最近のAIは優秀でね。未知の言語でも、データベースと照合して、意味を『類推』してくれることがある。古代の楔形(くさびがた)文字が解読できたのも、これのおかげでしょ?」

俺は冗談めかして言いながら、スマホのカメラを、石碑の『文字』にかざした。

ファインダー越しに、ミミズのような文字が映る。 アプリがピントを合わせようと、画面が微かに明滅する。 画面上部には「原文(検出中)…」という表示。

「……ダメか。やっぱ、ただの模様かな」

諦めてスマホを下ろそうとした、その瞬間。 ピコン、と軽い電子音が鳴った。

画面の表示が切り替わる。

『原文(不明):翻訳できません』

「だよな」

「あ、でも岡崎さん、そこ! 右下!」

青年の指差す先。 石碑の右下。隅の方に、他の文字とは明らかに筆跡が異なる、小さな『落書き』のような刻印があった。 おそらく、後世の誰かが付け加えたものだろう。

そこは、まだ翻訳アプリの『枠』に入っていなかった。 俺は、ゆっくりとスマホをスライドさせ、その『落書き』にカメラを合わせた。

ピコン。

今度は、すぐに認識した。 アプリが、その『落書き』を白くハイライトする。 そして、その上に『翻訳結果』を重ね書き(オーバーレイ)した。

みるな

「……え?」

ゾッとした。 俺は慌てて、カメラを隣の文字群に移す。

ピコン。

さわるな

ピコン。

かえれ

「…おいおい、嘘だろ…」

「え、何て出てるんですか!? 見せてください!」

青年が俺のスマホを覗き込む。 俺は、石碑に刻まれたミミズのような文字を、右から左へとなぞるように、スマホを動かした。

ピコン。

ここは ふた

ピコン。

したが みている

ピコン。

めを あわせるな

「…っ!」

俺と青年は、同時に息を呑んだ。 警告だ。 石碑に刻まれたミミズのような『本文』は、何かの『経文』か『呪文』か。 そして、後から付け加えられた『落書き』は、その『本文』を起動させないための、必死の『警告文』だったのではないか。

「…岡崎さん、帰りましょう」

「あ、ああ…」

青年の顔は真っ青だった。 俺も、この不気味な『翻訳結果』が、AIの『誤作動』なのか、それとも『真実』なのか、判断がつかなかった。

だが、恐怖よりも、ライターとしての好奇心が勝ってしまった。 (なぜ、『目を合わせるな』?)

俺は、もう一度、石碑の『本文』…ミミズのような文字群を、翻訳アプリで映した。 さっきは「翻訳できません」と出た、あの部分だ。 今度は、どうだ?

スマホをかざす。 アプリは数秒間「検出中…」と表示した後、

ピコン。

画面いっぱいに、『翻訳結果』がオーバーレイされた。

』 『』『』『』 『』『』『』『』『』『』 『』『』『』『』『』『』『』『』『』『』『』『』『』『』『』『』『』『』『』『』『』『』『』『

「…ひっ」

石碑に刻まれた『本文』のすべてが、『み』という、ただ一文字の平仮名に『翻訳』された。 びっしりと、画面を埋め尽くす『み』の羅列。 まるで、無数の目が、こちらを『見』ているとでも言うように。

「うわあああっ!」

青年が、石碑から飛び退(のい)た。 俺も、思わずスマホを地面に落とした。 画面が割れ、アプリが強制終了する。

「…バグだ。AIのバグだ…帰るぞ!」

俺は、泥だらけのスマホを拾い上げ、電源ボタンを長押しした。 強制的にシャットダウンしようとした。 だが、スマホは反応しない。

「岡崎さん! 後ろ!」

青年の悲鳴。 振り返る。

顔を削られた、あの『石仏』の一体が。 さっきまであった場所から、明らかに動いて、俺たちのすぐ背後に立っていた。

「…あ…」

そして。 俺の手の中のスマホが、勝手に再起動した。 ロック画面も、ホーム画面もスキップして。 いきなり、AR翻訳アプリが立ち上がる。

カメラは、自動で、目の前の顔のない石仏にピントを合わせた。

のっぺらぼうの、顔があったはずの部分。 そこに、白い文字が重ね書きされた。

みつけた

「…っ!」

俺が後ずさった、その瞬間。

ギギギギギギ…

石仏の、石でできた首が、ありえない角度で捻じ曲がり、 のっぺらぼうの顔が、 俺の隣に立つガイドの青年の顔に、ピタリと向いた。

「あ…あ…」

青年は、恐怖で声も出ない。 そして、俺のスマホのカメラもまた、石仏から『青年』へと、ピントを移した。

ファインダー越しに見る、青年の顔。 恐怖に歪んだ、その顔。

その顔に、翻訳結果が、白く、はっきりと、 重ね書きされた。

あたらしい ふた

「——やめろおおおおっ!!」

俺は、スマホを青年から引き離そうとした。 だが、遅かった。

「……あ?」

青年の、焦点が合っていなかった目が、 カッと、見開かれた。 そして、俺の目を、じっと見つめた。

彼は、ゆっくりと、笑った。 さっきまでの、人の良い観光課の青年の笑顔ではなかった。 口角だけが、人間ではありえないほど吊り上がっている。

「……」(※ミミズが這うような、低い摩擦音)

青年が、何かを『喋った』。 声帯から発せられたとは思えない、あの石碑の文字を、そのまま音にしたような、不快な異音。

俺の手の中のスマホが、激しく振動した。 AR翻訳アプリが、その『異音』を、忠実に翻訳している。

スマホの画面。 青年の、歪んだ笑顔。 そこに重ね書きされる、翻訳結果。

みつけた』 『ようやく みつけた』 『あたらしい め』 『あたらしい こえ

スマホのカメラが、内側(インカメラ)に切り替わった。 画面いっぱいに映る、俺自身の、恐怖に引き攣った顔。

そして、俺の『顔』に、最後の『翻訳結果』が、重なった。

つぎの ふた

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