知らない偉人名鑑【武田信玄】

偉人

さて、突然ですが「戦国最強の武将は?」と聞かれたら、皆さんは誰を思い浮かべますか?

織田信長? 上杉謙信? それとも伊達政宗? もちろん、どの武将も甲乙つけがたい魅力と強さを誇りますが、多くの歴史ファンや、果ては戦国武将たち自身が「最強」と認めた男がいます。

その名も、「甲斐の虎」武田信玄(たけだ しんげん)

「風林火山(ふうりんかざん)」の軍旗を掲げ、当時最強と謳われた騎馬軍団を率いた、まさに戦国時代の「ラスボス」的存在です。

あの織田信長を本気で震え上がらせ、後の天下人・徳川家康には、生涯忘れられないほどのトラウマを植え付けました。

政治家としても超一流で、「信玄堤(しんげんづつみ)」と呼ばれる大規模な治水事業を成功させ、領民からは神のように慕われたと言います。

戦(いくさ)は最強、政治は完璧、部下からの人望も厚い。

……いや、完璧超人すぎでは? 「そんな人に弱点なんてあるの?」と思いますよね。

それが、あったんです。 それも、天下の名将らしからぬ、非常に「可愛らしい」弱点が。

今回は、「甲斐の虎」の鎧(よろい)の下に隠された、人間臭さMAXのギャップに迫ります。


【戦国最強】武田信玄がガチで恐れたモノ。「甲斐の虎」最大の弱点が可愛すぎた件

覚醒:「甲斐の虎」はいかにして「最強」となったか

信玄の「弱点」を知る前に、まずは彼がいかに「最強」であったか、その「表の顔」を存分におさらいしておきましょう。

信玄のスゴさ、それは「戦の天才」であると同時に、「超一流の経営者」でもあった点に尽きます。

スゴさ①:家康に「人生最大の敗北」を刻んだ男

信玄の強さを語る上で欠かせないのが、1572年の**「三方ヶ原(みかたがはら)の戦い」**です。

当時、天下統一を目指して京都へ向かっていた(西上作戦)信玄。その通り道にいたのが、若き日の徳川家康でした。

家康は「どうせ俺の浜松城はスルーするだろ」と高をくくっていましたが、信玄は家康の挑発を一切無視し、浜松城を華麗にスルー。そのまま西へ進軍しようとします。

これに若き家康がブチギレ。「敵に背中を見せたまま見過ごせるか!」と、家臣たちの「絶対やめた方がいいですって!」という制止を振り切り、城から打って出てしまいました。

はい、これこそが信玄の狙いでした。 信玄は、家康が血気にはやって出てくることを完璧に読み切っていたのです。

三方ヶ原の広大な台地で、武田軍は最強の陣形である「魚鱗(ぎょりん)の陣」を敷いて待ち構えていました。 そこへノコノコやってきた徳川軍。

戦いは、もはや「戦闘」ではなく「蹂躙(じゅうりん)」でした。 信玄率いる武田軍の猛攻はすさまじく、徳川軍はわずか2時間ほどで壊滅。 家康自身も死を覚悟し、何度も「もう腹を切る!」と叫んだほど。家臣たちが必死に身代わりとなって時間を稼ぎ、家康は文字通り「命からがら」浜松城へ逃げ帰ります。

この時、あまりの恐怖と緊張で、家康は馬の上で脱糞(だっぷん)してしまった……という逸話(※諸説あり)が残っているほど、完膚なきまでに叩きのめされた訳です。

そして、この敗戦の直後。 憔悴(しょうすい)しきった家康が、自戒の念を込めて絵師に描かせたと言われるのが、あの有名な**「しかみ像(徳川家康三方ヶ原戦役画像)」**です。

「この屈辱と恐怖を生涯忘れない」 そう誓わせるほどのトラウマを植え付けた相手。それが武田信玄だったのです。

スゴさ②:「人は石垣、人は城」— 400年先も守る政治力

信玄は、ただ戦が強いだけの「脳筋」ではありませんでした。彼は超一流の経営者(領主)でもあったのです。

彼の有名な言葉に、こうあります。

「人は石垣、人は城、人は堀。情けは味方、仇(あだ)は敵なり」

(意訳:どんなに立派な城を築いても、人の心が離れれば意味がない。信頼できる「人」こそが最強の城であり、石垣であり、堀なのだ。情けをかければ人は味方になり、恨みを買えば人は敵になる)

かっこよすぎでは…? 現代のビジネス書にも載っていそうな、本質的なリーダー論ですよね。

彼はこの言葉を、絵空事ではなく実践しました。 その最たる例が、「信玄堤(しんげんづつみ)」です。

信玄の領地・甲斐国(現在の山梨県)は、釜無川(かまなしがわ)と御勅使川(みだいがわ)という二大暴れ川の合流地点にあり、昔から大規模な水害に悩まされ続けていました。

「川が氾濫 → 田んぼが全滅 → 領民が飢える → 国力が下がる」という負のスパイラルです。

信玄は、この難題に真正面から取り組みます。 彼は「甲州流川除法(こうしゅうりゅうかわよけほう)」と呼ばれる当時の最先端土木技術を導入。

川の流れを巧みにコントロールし、氾濫を防ぎ、さらに新しい田んぼまで生み出すという、巨大な堤防システムを築き上げたのです。

驚くべきことに、この信玄堤の基本構造は、築造から400年以上経った今現在も、甲府盆地を水害から守り続けています。

戦は最強、内政は完璧。 おまけにライバルの「越後の龍」上杉謙信とは、5度にもわたる「川中島の戦い」で死闘を繰り広げるなど、ドラマ性にも事欠かない。

……もう、お腹いっぱいです。 これ以上、何を望むというのでしょうか。 こんな完璧超人に、本当に弱点なんて……。

【本題】甲斐の虎、芋虫(いもむし)に震える

徳川家康に生涯のトラウマを刻み込み、織田信長を震え上がらせ、400年後まで続く国家プロジェクトを成し遂げた「甲斐の虎」。

彼が、この世で何よりも恐れたもの。 それは……

「芋虫(いもむし)」 (※毛虫や青虫など、ウネウネ動く幼虫全般を指すようです)

……え?

「いもむし」?

「あの信玄が?」「ウソでしょ?」「女の子みたい」

そう思った皆さん、安心してください。 当時の家臣たちも、全く同じことを思っていました。

この信じがたい逸話は、江戸時代に成立した武田家の軍学書『甲陽軍鑑(こうようぐんかん)』などに、おそらく(信憑性はさておき)「人間・信玄」を伝えるエピソードとして、しっかりと記されているのです。

逸話:猛将 vs 芋虫 & スパルタ教育

信玄がまだ若かりし頃(当時は晴信と名乗っていました)。 彼は、周囲を屈強な猛将たちに囲まれて育ちました。

しかし、どういうわけか、幼い頃から芋虫の類だけがダメ。生理的に受け付けなかったのです。

「うわっ、芋虫だ!あっち行け!」

そんな情けない姿を見かねたのが、信玄の傅役(もりやく=教育係)であり、後に武田四天王の一人に数えられる猛将・馬場信春(ばば のぶはる)でした。

馬場信春は、こう考えます。 「いかん。我が殿が、天下を目指すお方が、芋虫ごときに怯えていては示しがつかない!なんとしても克服させねば!」

この馬場さん、良かれと思って、とんでもないスパルタ教育、いや、荒療治を敢行します。

ある日、馬場信春は、神聖な儀式で使う「三方(さんぽう)」という白木の台の上に、一匹のデッカイ青虫(芋虫)を乗せて、信玄の目の前にスッと差し出しました。

馬場:「殿。天下一の武将を目指すお方が、このような虫けらを恐れていては、みっともない限り!さあ、手にお取りください!」

信玄:「(絶句)……な、何を言っておるか、信春!そ、そんなもの触れるわけが……!」

馬場:「何を仰せられますか!これが恐ろしゅうて、どうして天下が取れましょうぞ!さあ!!」

猛将・馬場信春の、鬼気迫る表情。 「天下のため」などと大義名分を振りかざされ、信玄も引き下がれません。

彼は「ええい、ままよ!」と叫び、顔面蒼白になりながら、その芋虫を……

ギュッ。

と、握りつぶして見せたのです。

信玄:「ど、どうだ信春!わ、わしは芋虫など、恐ろしくも何ともないわ!!(プルプル)」

馬場信春は「おお、さすがは殿!」と感心しましたが、信玄の顔は真っ青。

『甲陽軍鑑』の記述によれば、あまりの気持ち悪さと恐怖で血の気が引き、握りつぶした芋虫の体液(緑色)と相まって、信玄の手のひらから指先までが「青緑色」に染まっていたといいます。

……いや、トラウマ悪化してない!?

このスパルタ教育(という名のパワハラ?)の結果、信玄が芋虫を克服できたかどうかは、定かではありません。 おそらく、無理だったのではないでしょうか……。

最強の騎馬軍団を率いて敵陣に突撃する信玄も、陣幕の中でふと現れた一匹の芋虫に「ヒッ!」と小さな悲鳴を上げ、部下に「あれ、なんとかしろ」とこっそり指示していたのかもしれない。

そう想像すると、あの厳めしい肖像画も、なんだか急に親近感が湧いて、可愛く見えてきませんか?

まとめ:完璧じゃないから、人はついてくる

今回は、「戦国最強」武田信玄の「オモテ」と「ウラ」をご紹介しました。

最強伝説:

  • 家康に生涯のトラウマを植え付けるほどの戦の天才。
  • 「人は石垣」と説き、400年残る「信玄堤」を築く名君。
  • 織田信長が最も恐れた男。

意外な弱点:

  • 芋虫が死ぬほど苦手。
  • 家臣に無理やり克服させられ、手が青緑色になった。

私たちは歴史上の「偉人」と聞くと、つい非の打ち所がない完璧な超人をイメージしてしまいます。

しかし、武田信玄とて一人の人間。

「甲斐の虎」と恐れられながらも、私たちと同じように「どうしても生理的に無理なもの」があったのです。

むしろ、家臣たちは、そんな信玄の「完璧じゃない」部分、人間味あふれる姿を見たからこそ、「この人を支えたい」「この人のためなら命を懸けられる」と、より強く結束したのかもしれません。

信玄の有名な言葉「人は石垣、人は城」は、もしかしたら「完璧じゃない自分を支えてくれる皆こそが、俺の強さだ」という、彼なりのメッセージだったのかもしれませんね。


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それではまた、次回の「知らない偉人名鑑」でお会いしましょう!

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