【進化論の父】ダーウィンまさかの医大中退。理由が「血が怖い」&昆虫オタクすぎた件

偉人

突然ですが、皆さんは「チャールズ・ダーウィン」と聞いて、どんなイメージを持ちますか?

「進化論!」 「『種の起源』を書いた人!」 「ビーグル号で世界一周した、あのヒゲの凄い人!」

画像出典: Leonard Darwin, colorized by Julius Jääskeläinen,
https://commons.wikimedia.org/wiki/File:Charles_Darwin,_English_naturlist,_colored.jpg

そうですよね。まさに「知の巨人」。19世紀に「すべての生物は神が創った」という、それまでの常識を根底からひっくり返す「進化論」を提唱し、現代生物学の父とも呼ばれる大・大・偉人です。

あまりのスゴさに「完璧超人」「生まれた時から天才」みたいなイメージすらあります。

…しかし。

もし、そんなダーウィンが、キャリアのスタートで盛大に挫折し、あまつさえ「血が怖すぎて」医大を中退していたとしたら?

さらに、その後「聖職者になる!」と言って別の大学に入り直したのに、勉強そっちのけで昆虫採集に明け暮れる「オタク生活」を送り、親を嘆かせていたとしたら…?

「え、あのダーウィンが?」「まさか!」と思いますよね。

それが、本当なんです。

今回は、人類の価値観をアップデートした天才が、いかにして「ダーウィン」になったのか。その輝かしい功績と、意外すぎるギャップに迫ります。

この記事を読み終わる頃には、遠い存在だった偉人が、なんだか愛すべき「隣のすごいオタクお兄さん」みたいに見えてくるかもしれません。

【第1部】人類史レベルの「ヤバい」功績

まずは、ダーウィンの「何がそんなにスゴイのか」を、おさらいしておきましょう。彼の「ぽんこつ」な一面を知る前に、この「とんでもない功績」をしっかりインプットしておくことが、後のギャップを楽しむための最大の「フリ」になりますからね!

功績①:人生を変えた5年間の「世界一周ガチ航海」

ダーウィンの名を世界史に刻むきっかけとなったのが、1831年から1836年にかけて行われた「ビーグル号航海」です。

「船で世界一周?優雅でいいな~」なんて思ったら大間違い。

当時の航海は、現代の豪華客船クルーズとはワケが違います。木造の小さな帆船で、嵐に揉まれ、時には命の危険に晒されながら、なんと約5年間も世界中を巡るという、超ハードな任務でした。

ダーウィンはこの航海に「博物学者(自然史の研究者)」として乗船します。

彼はこの旅で、南米大陸、そしてあの有名なガラパゴス諸島などを訪れます。行く先々で、彼は驚くべき多様性を持つ動植物や、見たこともない地層、化石を目の当たりにしました。

特にガラパゴス諸島では、島ごとにくちばしの形が微妙に違うフィンチ(小鳥)を発見。

「なぜ、こんなに近い島々で、これほど多様な形に進化したんだろう?」という疑問が、後の大理論のタネになったと言われています(※諸説あります)。

彼はこの5年間で、文字通り「死ぬほど」の量の標本(動物、植物、化石)を採集し、詳細な観察記録をつけ、イギリス本国へ送り続けました。この時集められた膨大なデータと経験こそが、ダーウィンの、そして世界の未来を決定づけたのです。

ちなみにダーウィン、実は船酔いがめちゃくちゃ酷かったらしく、航海の序盤はほとんど船室で寝込んでいたそうです。天才も三半規管には勝てなかったんですね…(笑)。

功績②:世界観を破壊した『種の起源』という「爆弾」

ビーグル号から帰国したダーウィンは、一躍、著名な博物学者となります。彼が持ち帰った標本や『ビーグル号航海記』という旅行記は、当時のイギリスで大評判となりました。

しかし、彼はすぐには「あの理論」を発表しませんでした。

それもそのはず。彼が導き出した結論は、当時の社会常識、特にキリスト教の教えを真っ向から否定する、あまりにも「危険」なものだったからです。

当時のヨーロッパでは、「この世界にいる全ての生物は、神が『今ある姿』で創造したものであり、永遠に不変である(創造論)」というのが絶対的な常識でした。

しかし、ダーウィンは膨大な観察データから、こう考えます。

「生物は不変なんかじゃない。環境に適応するために、長い時間をかけて『変化』してきたんじゃないか?」

そして、そのメカニズムこそが「自然選択(Natural Selection)」であると。

ものすごく平たく言うと、「生き残るのに有利な『個体差(ちょっとした違い)』を持つものが生き残り、子孫を残す。そのプロセスが何万年、何億年と繰り返されることで、生物はゆっくりと姿を変えていく(=進化する)」という理論です。

彼はこの理論を、帰国してから実に20年以上も温め、裏付けを取り続けました。

そして1859年。ついに一冊の本として出版されます。 それが、『種の起源(On the Origin of Species)』です。

この本が社会に与えたインパクトは、凄まじいものでした。

「神への冒涜だ!」「人間がサルから進化したというのか!」

学者や宗教界からは、激しい非難と嘲笑が浴びせられました。ダーウィン自身をサルとして描いた風刺画が出回るほど、社会は揺れに揺れたのです。

しかし、彼が緻密なデータと冷静な論理で組み上げた「自然選択説」は、あまりにも説得力がありました。賛否両論を巻き起こしながらも、この理論は徐々に科学界のスタンダードとなり、現代の生物学の「土台」となったのです。

…と、ここまでが「オモテの顔」。 完璧超人。知の巨人。不屈の探求者。 もう、非の打ち所がない偉人ですよね。

では、お待たせしました。

こんな歴史的偉業を成し遂げたダーウィンが、もし「血まみれの手術室」から逃げ出していなかったら…? もし、彼が「昆虫オタク」じゃなかったら…?

『種の起源』は生まれなかったかもしれないのです。


【第2部】挫折と「好き」に全振りした若き日

ここからが本題です。ダーウィンの輝かしい功績を支えた(?)人間臭いエピソードの数々をご紹介しましょう。

ギャップ①:【衝撃】名門医大を「血がムリ」で中退

チャールズ・ダーウィンは、1809年、イギリスの超エリート一家に生まれます。父親も、祖父も、著名な「医者」でした。

当然、チャールズもその跡を継ぐものと期待されます。 彼は16歳の若さで、名門エディンバラ大学医学部に入学。順風満帆なエリートコースの始まり…かに思われました。

しかし、彼を待ち受けていたのは、現代からは想像もつかない「地獄」でした。

そう、当時はまだ「麻酔」が発明されていなかった**のです。

つまり、外科手術はすべて「意識がある状態」で行われていました。患者はベッドに押さえつけられ、阿鼻叫喚の悲鳴を上げる…。手術室は、文字通り「血の海」です。

繊細な(というか、ごく普通の感覚を持った)若きダーウィンにとって、これは耐え難い苦痛でした。彼は講義、特に解剖や手術の見学をサボるようになります。

決定打となったのは、ある「子供の手術」だったと言われています。 泣き叫ぶ子供の姿と、その凄惨な光景を目の当たりにしたダーウィンは、ついに手術室から逃げ出してしまったのです。

彼は悟ります。 「…ダメだ。血はムリ。医者、絶対ムリ。」

結局、ダーウィンは医学の道を完全にドロップアウト。2年足らずでエディンバラ大学を中退してしまいます。

エリート一家の跡取りが、医大を中退。 父親ロバートの怒り様は、想像に難くありません。「一族の恥だ!」と激怒したとも言われています。

いや、気持ちは分かりますが、ダーウィンに同情せざるを得ません。麻酔なしの手術とか、現代人でも無理すぎでは…?

ギャップ②:聖職者コース(のはずが)「昆虫オタク」爆誕

医者の道を諦めた息子を見て、父ロバートは考えます。 「医者がダメなら、次は**聖職者(牧師)**だ。それなら安泰だろう」

当時のイギリスでは、聖職者は安定した立派な職業でした。 ダーウィンは(特に乗り気でもないまま)父の勧めに従い、今度はケンブリッジ大学の神学部に入学し直します。

「今度こそ、真面目に勉強して立派な牧師に…」

なりませんでした。

ダーウィンは、神学の勉強にはまったく身が入らず、別の「沼」にどっぷりとハマってしまったのです。

それが、「昆虫採集」

彼は植物学者のヘンズロー教授(この出会いが後に重要になります)らと親交を深め、講義そっちのけで野山を駆けずり回り、ひたすら「甲虫(ビートル)」を集めまくりました。

その熱中ぶりは、家族への手紙に「カブトムシを集めるのだけがここでの楽しみ」と書くほど。完全に「オタク」のそれです。

この「昆虫オタク」ぶりを示す、有名な(そして、ちょっとアホらしい)逸話が残っています。

ある日、ダーウィンは森で古い木の皮を剥がし、珍しい甲虫を「2匹」発見。すかさず両手に1匹ずつ捕まえました。 と、その時! 目の前を、さらに別の「超・珍しい甲虫」が横切ったのです!

両手はふさがっている。しかし、目の前の獲物は逃したくない。 絶体絶命(?)のピンチに、ダーウィンが取った行動は…。

「パクッ」

なんと、右手に持っていた甲虫を口の中に入れたのです。 (いや、キモすぎでは!?)

そして、空いた右手を伸ばし、3匹目を捕まえようとした、その瞬間! 口の中の甲虫が、報復とばかりに強烈な(おそらく酸っぱいか苦い)液体を発射!

「熱っ!ペッ、ペッ!」

あまりの不味さと熱さに、ダーウィンは思わず甲虫を吐き出してしまいます。そして、その騒ぎの間に、両手に持っていた2匹も逃走…。

結局、彼は3匹すべてを取り逃がしてしまった、というオチです。

…アホですね(笑)。

ギャップ③:「ニート予備軍」を救った奇跡の推薦状

さて、そんなこんなで大学は卒業したものの、聖職者になる気はサラサラないダーウィン。 実家に戻り、相変わらず昆虫採集や狩猟に明け暮れる日々。

父親から見れば、「医大は中退するわ、神学部行ったのに虫ばかり追いかけてるわ、卒業しても就職しないわ…ウチの息子、大丈夫か?」状態。

現代で言えば「ニート予備軍」「好きなことしかしないボンボン」扱いです。

そんなダーウィンに、人生最大の転機が訪れます。 ケンブリッジ大学時代の恩師、あの植物学者ヘンズロー教授から一通の手紙が届いたのです。

「イギリス海軍の測量船『ビーグル号』が世界一周の航海に出る。船長の話し相手になれるような、若き博物学者を探しているんだが…君、行ってみないか?

ダーウィンは飛び上がって喜びます。「行く!絶対行く!」 しかし、またしても「あの人」が立ちはだかります。

そう、父親ロバートです。 「ふざけるな!そんな2年(※結局5年になった)も船旅に出るなど、まともな聖職者になるキャリアの妨げだ!絶対に許さん!」

絶望するダーウィン。 しかし、ここで救世主が現れます。彼の叔父(母の兄)であるジョサイア・ウェッジウッド2世(あの有名な陶磁器メーカー「ウェッジウッド」の一族です)が、ダーウィンの情熱を理解し、父親ロバートを説得してくれたのです。

「これは彼にとって、またとない機会になる。博物学への情熱は本物だ」

叔父の熱心な説得に、頑固な父ロバートもついに折れます。「…(旅費は自腹だが)行ってこい」。

こうしてダーウィンは、ギリギリのところでビーグル号への切符を手に入れたのです。

もし、彼が医大を中退していなかったら? もし、彼が昆虫オタクにならず、ヘンズロー教授と出会っていなかったら? もし、叔父さんの「ナイス説得」がなかったら…?

あの5年間の航海はなく、『種の起源』も生まれず、世界の歴史はまったく違うものになっていたかもしれません。


まとめ:挫折と「好き」が、世界を変えた

チャールズ・ダーウィンの「輝かしい功績」と「意外な一面」を振り返ってみました。

功績:ビーグル号航海という大冒険を成し遂げ、『種の起源』で「進化論」を提唱した、不屈の知の巨人。

意外:血が怖くて医大を中退し、親の期待から逃げ、聖職者の勉強もそっちのけで「昆虫採集」という趣味に没頭したオタク青年。

このギャップ、凄まじいですよね。

でも、見方を変えれば、彼の「弱さ」や「ぽんこつ」な部分こそが、彼をダーウィンにしたと言えます。

医学部を「挫折」したからこそ、彼は博物学という本当にやりたい道に進むことができました。 「虫が好き」という、一見キャリアの役には立たなそうな「オタク趣味」に没頭したからこそ、ビーグル号で無数の動植物を観察し、比較する「眼」が養われたのです。

ダーウィンは、決して最初から「完璧超人」だった訳ではありません。 むしろ、自分の弱さ(血がダメ)に正直に「逃げ」、自分の「好き(昆虫)」に正直に「没頭」した結果、歴史的な偉業にたどり着いたのです。

そう考えると、私たちが今「弱点だ」と思っていることや、「こんな趣味、何の役にも立たない」と思っているオタク活動も、いつかどこかで、思いもよらない形で自分の人生を助けてくれる「武器」になるのかもしれません。

完璧じゃないからこそ愛おしい。 そんなダーウィンの人間味に、少し勇気をもらえた気がしませんか?


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それでは、また次回の「知らない偉人名鑑」でお会いしましょう!

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